【感想】原田マハ「生きるぼくら」立ち上がりまた歩き出す姿は読者に勇気をくれる




こんにちは。朝木です。今回は原田マハ先生の

「生きるぼくら」

読了いたしました。

あらすじ

いじめから、ひきこもりとなった二十四歳の麻生人生。頼りきりだった母が突然いなくなった。残されていたのは、年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前あった。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」マーサばあちゃんから?人生は四年ぶりに外へ!祖母のいる蓼科へ向かうと、予想を覆す状況が待っていた。人の温もりにふれ、米づくりから、大きく人生が変わっていく。

裏表紙より抜粋

感想

世界一美味しいお米と人間の再出発の物語がここにありました。

母の温もりと醜い世界

「堂々と、自分の人生を、自分の好きなように生きなさい。」そう言ってくれる人が存在するありがたさや心強さ。そしてこの言葉をかけられる自分に感じる劣等感。過去の傷が原因で、最初の一歩を踏み出せないでいる。私自身そういった経験がありました。

「いじめ」の問題は本当に嫌気がさします。学校内でのヒエラルキーとそれに従い行動する人間。誰がどうと決めたわけでもないのに、全員が、空気がそれを認めてしまっている。そこから振るわれる暴力は唐突で、そして理由など存在しない。もちろん周囲の人間はターゲットから逃れたことに安堵し、自ら首を突っ込もうなど思うはずもない。今後の人生がここでつけられた傷により塞がれてしまうことを、この時は誰も理解ができないのだ。中途半端な個性でこれから成長する彼らを同じ箱に押し込めることが果たしていい結果を生み出すのか。一体この問題はいつになれば解決されるのでしょう。ましてや終わりなどあるのでしょうか。

新たな一歩と新しい居場所

駅から一歩出ればほとんど知らない世界。しかし人の縁とは本当に不思議なものです。どこかで繋がっていたりするのですから。マハさんの描く田舎の風景や景色は清々しいくらい心に染み渡ってきました。人との関わり方、懐かしいと感じる雰囲気。何よりその場所にいると錯覚させてくれる。五感すべてを使って楽しめました。

お婆ちゃんの大好きな特別な場所。それはなんでもない、けれど特別に感じられる神秘溢れる空間。悲しいことも嬉しいこともどんな事でも受け止めてくれる、ここで人生を振り返ったり未来を思い描いたり。こういった場所が存在することはかけがえのない財産になるはず。

帰るべき場所、帰れる場所があるだけで人は頑張ろうという気持ちになれるのかもしれません。その場所の価値や有難さに気づかなければそう思うこともないかもしれませんが。そんなキッカケを与えてくれるものってある意味とても大きな価値があるようにも思えます。それに出会うことのできた運の良さも賞賛すべきでしょう。必然であれ偶然であれどのように受け取り、どのように自分の価値に変化させるのか。これが大切なのではないでしょうか。

ここから始まる

そしてここから始まる新たな生活。本書の醍醐味でもあるお婆ちゃん流の米作り。大切な人たちのために働くことを決意した人生。今回は環境が人を良い方向に変えてくれましたね。こういった類のヒューマンドラマを目の当たりにすると非常に心が温まります。お婆ちゃんの語る米の一生。米作りの素晴らしさがストレートに伝わって来ました。みんなが大好きなお米を作る仕事。それって何よりも大切でやりがいがあるんじゃないかって。私自身祖母の家で米作りを毎年しており、本書で語られる内容が自信の祖母の口から聞かされている風に感じることもできました。

そんなお婆ちゃんの旦那さんの最後の言葉。夜遅くまで苗を植えている新妻を見て、この人と結婚してよかったと。この一言で涙が溢れました。汗水垂らしながら一本一本丁寧に植えていたのでしょう。それも時間の経過を忘れるほど夢中になって。お婆ちゃんの姿がとても輝いて見えたのでしょうね。大好きな人が大好きな人のために一生懸命植えた苗。そこから採れるお米はどんな味がするのでしょうか。きっとどんな料理にも負けない愛情がこもっているはず。

人が作るおにぎりがどうしてこれほどまでに美味しいのか。それは大切な人が両手で愛情を込めて結んでくれるから。少年野球をしていた頃に母が作ってくれていたおにぎりを思い出します。コンビニで売られているものとはどこか違う。それは人の手と機械の違いから来ているものなのでしょうか。大切な人の手で作られていることが美味しさの秘訣なのでしょう。

大切な思い出や記憶というのは薄らとしたものでも、それはあたかも太く深く紡がれてきた糸のようなものであり、散り散りになった断片でもキッカケを与えるだけで鮮明に思い出すことができる。しかしそれらは時として追い討ちをかけるような悲惨さをもたらします。過去の亡霊に取り憑かれたかのように失ったものを追い続ける。今あるものを忘れ、ただ呆然と。嫌な思い出にだけ蓋をして思い出さないように生きていく。そんな器用な生き方が我々にできるのでしょうか。そうではなく、それも一つの私の気持ちと前向きにとらえ日々を過ごしていきたいですね。

そして文字通りかっこいい志乃さん。絶望の淵に立たされていた二人を叱咤激励し、いつでも頼れと言ってくれた。こういった人と人との繋がりが本当に大好きです。損得感情ではなく心からその人のためを思うこと。今では綺麗事ように思われるかもしれませんが、生活の上でこれが一番大切なんでしょうね。志乃さんの言った「誰かが誰かを支え、支えられている。」この一言に背中を押された気がします。

一度でいいから食べてみたい、食物連鎖がきっちり働いている生きるぼくらの田んぼから採れるお米。手間暇かけ苦労して育てあげた、たった一反だけの自然の田んぼ。昔ながらの手法は現代において異質なのかもしれませんが、効率や収益を追いかけるばかり大切な気持ちを忘れているのかもしれません。お米を食べれるということが当たり前ではなく、特別であり幸福なことなのだと再確認する必要があるかもしれませんね。

「生きるぼくら」このフレーズに込められたみんなの想い。自然と、命と、自分たちと、みんな引っくるめて支え合いながら生きているのだと。夏という不思議な季節が魅せる自然の世界。稲の花。一度でいいから実物を見てみたいものです。きっと作中の人物と同じように自然と声をかけ、青空を仰ぎながら自分の意思表明をしたりするのでしょう。季節と気持ちがリンクしているかのような気分になりました。

思い出の場所や風景にはその人の人生が詰まっているのでしょう。それを目にした途端走馬灯のように脳裏に過る過去の自分。忘れていたことだってきっと思い出せるはず。そんな場所や風景を大切な人と共感したいものです。

最後に

高齢化社会に対する接し方。介護するにあたっての心得や考え方。本書はそんなことも教えてくれました。相手を名前で呼ぶこと。それは個性を尊重している証になるようです。治ると信じ根気強く話しかけること。回復の兆しが見えないことでお互いの心が離れていくことが一番いけないのだと。誰かがそばにいて話しかけてくれる、このことが認知症患者にとって一番幸福なことなのだと言っていました。

田植えの描写もわかりやすく説明してあり、理解を深めつつ読み進めることができました。田植えの知識はもちろん、昔ながらの田植えの過酷さや楽しさ。何よりお米を作り食べることの素晴らしさを知ることができました。

少し残念だったのが人生が梅干しを食べれるようになった瞬間の感動が少し弱いように感じたこと。人生なりに大きな苦難を乗り越え、多くの人と協力して作ったお米。そして最愛のお婆ちゃんが握ってくれたおにぎりと梅干。過去の傷を乗り越えるのに十分な理由にも取れましたが、もう少し心の葛藤のようなドラマが欲しいところでした。過去に受けた傷の重みが少し安っぽく見えてしまいました。

しかし、読むだけで元気が出て、生きる活力が湧いてくる世界一美味しいおにぎりの秘密が詰まった物語。そして人間の再出発の物語。人はいつだってどんな時だってきっかけさえあればやり直せるんだ。文字通りがむしゃらに必死こいて「生」にしがみついて




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