【感想】高橋弘希「送り火」芥川賞作家の感性に言葉の無限の可能性を感じる・・・




こんばんは。朝木です。今回は高橋弘希先生の

「送り火」

読了いたしました。

あらすじ

父親の転勤により東京から津軽地方の中学へと転校してきた歩。新しい環境にも慣れはじめ長閑な日常生活を満喫していたかのようにも見えた・・・。あの日を迎えるまでは・・・。閉鎖的空間における暴力の残酷さと他者を理解していたと思い込む危うさが私たちの常軌を逸する渾身の一作。

感想

美しすぎる感性

舞台は津軽地方。四季折々を表現する言葉のセンスは見事であり、柔らかく温かな風景を思い浮かべることができました。特に夕暮れに吹き抜ける風を「雀色の風」と表現する感性・・・たまらなく好きです。

他にも夏の深緑に囲まれたダム湖。そこにはかつて集落があり、ダムの建設にあたり沈んだと言われています。そんなダム湖の底に茅葺き屋根の民家が残っているのではないかと夢想するわけです。ありもしない光景とは幻想的かつ儚いものであり、一つの希望なのかもしれません。そんな風景を頭の片隅に置きながら津軽地方を堪能していました。

未完な心と閉鎖的空間

年頃の男児が抱く複雑な心境、私も当時の記憶を思い出しました。何かを始めるのに十分過ぎる好奇心、結果を考える思考よりも早く体が反応してしまい多くの失敗を経験しました。まさに当時の心境というものを本書が綺麗に表現してくれていました。衝動に駆られあるがままに従う、世界はいつだって彼等を中心に回っているのだ。

中でも晃の行動には不可解な点がいくつもありましたが、何となく彼自身の思考回路を解釈することも出来ました。稔に対する意識が彼の中でどのような位置にあったのか、それは本書を読んでいれば自明の理。気色の悪い独占欲が溢れていると一番に感じました。恐らく共依存の関係にあったのかもしれません。どのような扱いを受けようとも必要とされていると感じることが、私たちの承認欲求を満たすことに繋がります。いわば一つの居場所であり、安心感を得られる場所でもあるのです。

まだまだ人間として未熟であり未完である彼らは蝉の孵化を目に何を感じたのでしょうか。七年間という長い月日を土の中で過ごし地上に出てきたものの、孵化の途中で力尽きてしまい命の鼓動を止めてしまった。蝉に対して晃が取った行動には慈愛が籠っていたようにも感じました。しかし温泉の帰りに語っていた稔への暴力の動機。私にはどうも理解できなかったですね。稔と蝉とで行動がこうも違うのは一体何故なのだろうか。悶々としたまま頭の中をグルグルと駆け回ります。

理解したつもりでいる危うさ

これも因果応報なのか・・・まんまとしてやられました。まさかこのような結末が待っていようとは・・・。結果として田舎のコミュニティの閉鎖性や排他性を本書は伝えたかったのだろうか?それだと早合点も良いところのように感じますが、外部の人間はこのように扱われるのが習わしなのかもしれません。洗礼を受け乗り越えた者だけがコミュニティに属することが認められる。いわば儀式のようなものなのかもしれませんね。

最後に

それにしても読後の不明瞭な感覚は否めない。終盤にかけての怒涛の展開は後味の悪さに関して群を抜いています。結局何を伝えたかったのか・・・私の勉強不足なのか本書の内容の悪さが起因しているのか明確に判断することが難しいです。しかしながら最後の場面で人間の心理の働き方には納得した部分もあります。少なくとも暴力の残酷さは余すことなく伝わりました。

しかし文章の表現は非常に豊かでありイメージしやすく読みやすかったです。虐めと傍観、田舎の人間関係における本質を過激に表現した一冊。内包された恐怖とは知らず知らずのうちに芽を出し大きく成長しているもの。他者を理解していると思い込む危うさ恐ろしさを見せつけられました。終盤までと終盤の乖離性が非常に読み応えがあり、特に稔の言葉に注目して読んでいただきたい。




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