【感想】藤岡陽子「手のひらの音符」終始人の温かさを感じて・・・。幸せな気分になる小説。




こんにちは。朝木です。今回は藤岡陽子先生の

「手のひらの音符」

読了いたしました。

あらすじ

デザイナーの水樹は、自社が服飾業から撤退することを知らされる。45歳独身、何より愛してきた仕事なのに……。途方に暮れる水樹のもとに中高の同級生・憲吾から、恩師の入院を知らせる電話が。お見舞いへと帰省する最中、懐かしい記憶が蘇る。幼馴染の三兄弟、とりわけ、思い合っていた信也のこと。<あの頃>が、水樹に新たな力を与えてくれる――。人生に迷うすべての人に贈る物語!

裏表紙より抜粋

感想

ここまで純粋な優しさや温もりに包まれた物語に触れるのは久方ぶりです。登場人物の台詞を始め風景描写にも、温度感が随所散りばめられていました。

人にはその人なりの頑張り方というものがあるのだ。無理に皆と足並みを揃えて努力したところで、必ず個人差が現れる。その個人差こそ努力の仕方は人それぞれという証ではないだろうか。本書で言えば悠人には悠人なりのドッジボールの訓練の仕方があるのだ。まずはボールから目を背けず避けること。誰にでも出来ることが出来ない子というのは必ず存在するものです。その人に対して罵詈雑言を浴びせるのか、はたまた歩調を合わせ努力の仕方を工夫してみるのか、そこに人との向き合い方の価値が見出せるのではないでしょうか。

森嶋家の闘い

非常に壮絶な境遇でした。読んでいる私でさえ心を抉られ、何度胸を痛めたことか。子供同士の虐めと喧嘩、そこに加わる大人による価値観の押し付け。一体正義とは何を指すのだろう。非常に深く考えさせられました。虐めを行なった子供に対する報復とは何にあたるのでしょうね。行なった虐めと同じことを受けること?それとも暴力で制裁?口で言ってもわからない子にはどうやれば伝わるのでしょうか。虐めの残酷さというものが。

そして虐めを行なった子の親の態度ですよね。虐めの報復として暴力を振るわれたと子供が言ったとしましょう。あなたが親ならなんと答えますか?「虐めを行なったのだから受けて当たり前だ。」それとも「何をしたにせよ暴力で解決するのは良くない。」どちらも間違っていないのですから甲乙つけがたいですね。しかし私が親なら前者を選択します。虐めという行為の重さを、身を以て知ってほしい。痛みを知ったのならば次は優しくなれると信じたいですね。

誰かに嫌われること

誰かに嫌われる辛さという部分の心情が非常に丁寧に描かれていました。悪意を受けている人物を第三者の視点から観察することと、実際に自身で悪意を一身に受けることの違いが明確に示されていました。ただ泣かないでいることに全神経を消耗し、余裕が全くできなくなるのだ。そんな彼らに対して彼らの「弱さ」が原因だと第三者は思うでしょう。しかしそれは悪意を軽んじているからこそ、そう思うのです。実際に悪意を一身に受けた者こそ、その辛さを現実として受け止められる、そして誰かを救う一筋の光になり得るのではないかと考えます。

人は誰しもが秘密を持っている

どんなに明るく笑顔を振舞っている人でも、闇に近いような秘密を隠し持っていることもあるのだ。

堂林くんの壮絶な過去の話では、その姿からは想像もつかないような環境が彼を悩ませていました。そのような状況下で母と心中を決意し、池へと向かう中で起きた出来事。信也の放った「一番なのか?」という言葉。この言葉の重みは彼の壮絶な過去を知っているからこそ、私たちには理解することができたのでしょう。自分の不幸など世界基準で見ればちっぽけなものなのかもしれない。どれだけ今が辛かろうが、他の人はもっと辛い思いをしても強く生きようと願っているかもしれない。そんな風に考えることが出来れば世の中幸せで一杯になるかもしれませんね。そこに助け合いなどが加われば、より一層生きる希望に繋がるのかもしれません。ただ辛さを乗り越えるには相応の心の強さが必要になります。そこを育むことこそ私たちの永遠の命題とも言えるのではないでしょうか。

人生とはリレーのようなもの

本書にもあったように、「諦める」という気持ちは周囲に伝播する。一走者目の人物が勝てっこないと沈んだ空気を作り上げれば、二走者目、三走者目へと倦怠感は次第に広がってしまうのだ。しかしある人物はこう言い放つのだ。「どんなに遅れてもいいから必死に走ってバトンを渡せ。そうしたら自分も全力で走れる。バトンを受け取る順位よりも、どんな気持ちでそのバトンを託されたかが重要なんだ。」まさにその通りだと、心の中に温かい気持ちが行き渡るのを感じました。

これは人生でも同様であり、初めから諦めていては何も始まらないということ。そして諦めないで全力で必死こいて努力すれば、それは周囲の人間を突き動かす力にもなり得るということ。人を巻き込む鍵となるのは、情熱」だということを私たちは忘れてはいけませんね。

頑張れという言葉の真意

「頑張れ」という言葉。口にするのは非常に簡単ですね。口にする側も殆どの場合が素直に応援の意味を込めて発するもの。しかしその言葉が時には相手を追い詰める場合があるという事を、私たちは頭の片隅に置いておかなければなりません。「これ以上何を頑張れというのだ。」このように解釈されてしまっては、折角の応援も台無しです。増してや相手は「理解してもらえない」と過剰に反応してしまうかもしれません。だからこそ頑張っている相手に頑張れと言うのは禁句とも言いますよね。その時その場に応じて必要な言葉を選択することが、私たちにできる最大限の応援なのかもしれません。

最後に

幸せな結末を迎えてくれました。終始心が温もりで満たされている物語、私自身はじめての体験でした。本に触れて幸せを感じること、これは読者にとっての日常における小さな幸せの一つですね。この幸せのありがたさ、そして何より噛み締めることの大切さを胸に、今後も読書と向き合っていきたいと、改めて強く思いました。




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