【感想】乙一「失はれる物語」絶対の静寂を通してあなたは何を感じる




こんにちは。朝木です。今回は乙一先生の

「失はれる物語」

読了いたしました。

あらすじ

目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随うえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見立て、日日の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが……。表題作ほか、「Calling You」「傷」など傑作短編5作とリリカルな怪作「ボクの賢いパンツくん」、書き下ろし「ウソカノ」の2作を初収録。

裏表紙より抜粋

感想

たった1冊にして、様々な物語に触れることが出来ました。私が本書を手にしたきっかけは、VOCALOID曲の1つであるゆよゆっぺさんの「Lost Story」を耳にしたことです。この曲を聞いて原作があることを知り、すぐさま書店へ向かいました。読後・・・乙一先生にもゆよゆっぺさんにも三度ハマりました・・・。原作を読んだ後にこの曲を聞くと、ついつい物語が想起させられ涙腺が緩んでしまいます。そんな本書の魅力を短篇ごとに紹介していきたいと思います。(「ボクの賢いパンツくん」のみ省いております。)

Calling You

現実と乖離した少し不思議な物語。現実に即して言うなれば妄想の部類に当てはまるのだろう。生きることに酷く疲れた時、その場所から救ってくれるのは一体誰なのだろう。友達?家族?それとも自分自身?友達のいない状況で学校が楽しいはずがありません。ましてや親に迷惑をかけたくないがために、口からは「楽しいくやっている」とついつい嘘をついてしまう。彼女の口から出る言葉はいつだって優しい嘘なのだ。そんな彼女が頼った存在。それはそれで一つの救済だったのでしょう。理解者の存在がどれほどの救いになるのか。そんなの分かりきっていることですよね。彼女の求めた先が何処の何であろうと、それは彼女にとって生きるために必要な存在だったのです。

失はれる物語

私が本書で1番好きな物語。

『光のささない深海よりも深い闇、耳鳴りすら存在しない絶対の静寂。』光と音を失った彼は何を糧に生きる力を手にしていたのか。自分と置き換えてみても、絶望の2文字しか浮かびませんでした。しかし彼には温もりを肌で感じさせてくれる大切な人がいました。音のない世界に音をイメージさせ、光や色を与えてくれる七色のピアノのような存在の人が。そんな彼女の表現するピアノの音は実に素直なのだ。楽しい時は何とも心地よい感覚が伝わり、苦しい時は階段から落ちるような痛々しい感覚。彼自身も感覚が研ぎ澄まされるにつれ、彼女の心境の変化を音のないピアノから読み取ることが出来るようになるのだ。言葉という壁を超え繋がる2人。悲しい物語のはずなのに、何とも言えない温かさが私を包み込む。失った物は大き過ぎた。しかしその失ったもの以上に大切なものの輝きを、彼は深い闇を通して感じ取ったのだ。心で繋がることの真の意味を理解する物語だった。

もしかすると本当の苦しみというのは痛みでも深い闇でもなく、相手に気持ちを伝える術がないということなのかもしれません。その上相手の気持ちは詳細な部分まで一方的に理解してしまう、それは自身の中でどうしようもない懊悩となって永遠に苦しむこととなるのだ。そんな苦しみの中で彼がした選択。この選択に胸の奥が抉られる。陳腐な言葉では言い表せない、とにかく歯痒く身体中がムズムズしてムカムカするような感覚が私の全身を駆け巡りました。

『不幸なことを避ける力は、オレらになかった。』何故彼らでなければならなかったのだろうか。無垢な少年に宿った不思議な力。彼の優しさに乗じて神様がその力を与えたのなら、私はそんな神を恨めしく思うだろう。周囲の他人のために自己犠牲を払う小学生がいてたまるものか。その小さな肉体にいくつもの深い傷を負い、心にまで刃物を突きつけられるなど残酷極まりない。挙げ句の果てにいらない子と、自ら口にする人生を歩もうとは。彼らの周囲の人間を見ているとその人達なりに理由はあったにせよ、人の道を外れてはいけないということを守り通して欲しかった。自分の幸せのために相手を裏切る。この行為は決してあってはならないものだ。そんな最低を生きてきた彼らの友情は本当に眩しかった。彼らに不幸を避ける力はなかった、だが幸せになる力を2人一緒なら発揮できるだろう。生きることを諦めないこと、今に絶望していても明日に希望があることを信じて、明日も一生懸命生きてやろうと思いました。

手を握る泥棒の物語

今回の物語は本書の休憩場のようなポジションになるのでしょうか。読後は温かい気持ちになり和んだことを覚えています。人の物を盗もうとしたことは決して許されないこと。しかしそれが原因で、結果的に誰かの幸せに繋がることだってあるのです。僥倖とでも言うのでしょうか。決して関わることのなかった二人が、偶然にも間違いから出会うこととなり、話をしていくことで救われる結果となる。作中では奇妙な構図で二人の会話は進んでいきます。これがまた滑稽で面白い。一期一会という言葉の意味が脳裏を過ぎりました。

しあわせは子猫のかたち

死は平等に訪れると言うが、果たして本当にそうなのだろうか。命ある限り死がくると言う部分では平等であろう。しかし時として我々は、運命とでも言うべき強制的な死を受け入れなければならないのだ。何かを偶然にも見てしまったばかりに、殺されなければならない運命を辿ることに・・・一言で言ってしまえば、ただただタイミングの問題なのだ。その時その場所に居合わせなければもっと生きていたであろうに・・・何とも心に悔しさが残る物語でした。

しかし主要な登場人物、そして彼らの関係性は幻想的で素敵なものでしたね。まさに正反対の二人がある意味同居するという展開。それに加え彼女に至っては視認する事が不可能な状態なわけで。だからこそ彼は現実を受け入れる事が出来たのかもしれませんね。現実に絶望したからこそ、現実から乖離した現象に平然としていられた。そして彼女の方は天真爛漫とでも言うのでしょうか。見るもの全てがキラキラ輝いて、世界に光が満ちていると今でも口にしそうな女性でした。そんな二人の関係性は、特別で少し羨ましいものでした。

マリアの指

美しすぎる存在というのは、時として人を死に追いやるのだ。常人では決して手の届かない高嶺の花。だからこそ不用意に向こうから接触してくれば、自分は特別なのだと錯覚してしまう。我々は本当に単純な生き物だ。疑うことを知らないということは、自身を守る術を知らないということ。疑わないことを純粋無垢だと受け取る人もいるが、それはただ単に人としてまだまだ青いと私は考える。そしていつかその美しさは、周囲からの羨望の眼差しを受け、その羨望は時間の経過とともに嫉妬心へと変わり果てるのだ。その果てに待ち受けるものとは今回のような最悪の結果であろう。美しすぎる存在は罪だと昔から言われていましたね。周囲から見ればそれは羨むべき事柄なのかもしれません。しかし実際は当の本人にしかわからない、不利益があるのだということを知っておかなければなりませんね。

ウソカノ

小さな嘘がやがて自分さえも欺いてしまうとは。今回はその錯覚がいい方向に働いて、結果的に彼らは自身を磨いていたことになります。「嘘をつき通せば本当のことになる」これはあながち間違いではないのかもしれませんね。

最後に

一言で言い表せないのが乙一先生の魅力。独特な世界観に知らず知らずのうちにのめり込んでいる。厳しく現実に対して、優しくもあり何処か未熟な人たち。そんな彼らから学べることは非常に多く、特別であり大切なことだと思います。皆さんも是非、登場人物に自身を投影し、彼らの気持ちを感じ取ってみてください。




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